文化・芸術

2019年6月 1日 (土)

柔道教育ソリダリティー

2006年から活動の行われていました、山下泰裕・全日本柔道連盟会長が理事長を務める認定NPO法人「柔道教育ソリダリティー」が2019年5月30日の総会をもって13年間にわたる活動を終了しました。

山下泰裕理事長は、全日本柔道連盟会長などの要職にあり、また来年の2020年東京オリンピック・パラリンピックの活動とともに、今年7月には日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任が予定されておる多忙を極める状況です。

その上で、「柔道教育ソリダリティー」が担ってきた活動は、今後、井上康生監督が4月に設立したNPO法人JUDOsによって、引き継がれていくようです。

山下理事長、お疲れ様でした。


Wikipediaより

柔道教育ソリダリティー

2006年には特定非営利活動法人 柔道教育ソリダリティーが設立されている。理事長として山下泰裕が就任し、「柔道の国際的な普及に寄与するとともに、その活動を通して人と人との交流を図り、異文化理解を進め、もって日本のさらには世界の青少年育成に寄与すること」を目的とし、

「柔道・友情・平和」をスローガンとし、

事業内容として、

1. 柔道の国際的普及、振興に係わる事業。

2. 柔道による文化交流、異文化理解の推進に係わる事業。

3. 柔道による青少年育成に係わる事業

を行っている。

2019年5月18日 (土)

柔道MIND

2013年に起こった一連の柔道界の不祥事を受けて、全日本柔道連盟は2014年4月1日から「柔道MIND」プロジェクトを立ち上げています。

 

「MIND」は英語で「精神」「心」、

嘉納治五郎の教えの精神、柔道の心に立ち返ろうという気持ちを込めたもの。
同時に「MIND」は4つの単語の頭文字をつなげたもの。

 はManners(マナーズ)、礼節
 はIndependence(インディペンデンス)、自立
 はNobility(ノビリティ)、高潔
 はDignity(ディグニティ)、品格尊厳

これら4つの単語を連ねたことには、柔道を行う者はこれら4つのことを守ってこそ「柔道家」と呼ばれるに相応しいのだということを明確に示そうという狙い。

 

全柔連では2013年に、「暴力の根絶プロジェクト」を立ち上げています。

それに加え、柔道MINDは、「礼節や品格などの正(プラス)の部分」を伸ばそうという意味合いを含め、「暴力の根絶」プロジェクトを柔道MINDプロジェクト特別委員会と名前を改め、活動内容も積極的に広げていくことになったもの。

 

暴力、暴言、セクハラ、パワハラ、不適切な指導を克服する事などは柔道をする者にとって当然の事。

これからは「柔道MIND」を心がけ、ともにその先を目指し新しい柔道界を築く目的。

2019年5月12日 (日)

柔道とダンス(大河ドラマいだてん第18回ネタ)

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』第18回「愛の夢」では、女子の体育の歴史について相当詳しく描かれました。

その中では「女子体育の母」二階堂トクヨや、東京高等師範学校教授の可児徳が女子の体育にダンスを推奨していました。

講道館館長で、東京高等師範学校校長、大日本体育協会(初代)会長の嘉納治五郎も、前回のいだてん17回の中では女子の体育に関して、女子の激しい運動を否定する描写がなされていましたが、一方で嘉納の考えとしての理想の女子の体育に関してはダンス(的なもの)を推奨しています。

 

戸川幸夫・著『小説 嘉納治五郎』(読売新聞社)からの引用になります。

 

「私が嘉納治五郎に最初に会ったのは中学を卒業した年で、昭和五年十一月十五、十六の両日、明治神宮外苑相撲場で催された第一回全日本柔道選士権の時であった。

~中略~

確かあれは二日目だったと思う。その前に、古式の型の披露などがあった後、嘉納治五郎が羽織袴姿で登場し、

「柔道の精神は精力善用、自他共栄である」

との信念を長々と話し出した。会場を埋めた観衆の少なくとも半数は私同様嘉納を初めて見たという連中だったろう。

多くの観衆は初めのうちこそ、この人が柔道を創始した人だというのでおとなしく聞いていたが、嘉納の話が脂が乗って延々三十分以上になり、終には柔(やわら)の型こそ女子の体質に最も合うと、ダンスと比較して踊り出す

~後略~」

ということがあったそうです。

この際の嘉納の講演や形・ダンスの熱演は、試合を見に来た人達からの評判は良くなかったようですが、嘉納自身の当時考えていた理想の女子柔道の方向性と、柔道に試合・乱取り要素とは別に、形においてダンス要素を取り込もうとしていた情熱の感じられるエピソードです。

2019年4月 7日 (日)

新元号【令和】 そして、嘉辰令月

平成31年4月1日に、5月1日からの新天皇陛下即位に際して施行される新元号が発表されました。

令和】が2019年5月1日から使用される新元号となります。

 

新元号「令和」の典拠は、『万葉集』の「梅花の歌三十二首の序文となっています。

 

 

「天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ

梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。

しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。

庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。

ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。

言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る。

もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。

詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。

よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。」

 

現代語訳

「天平2年の正月の13日、師老(大伴旅人・おおとものたびと)の邸宅(太宰府)に集まって宴会を行った。

折しも、初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる

梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。

そればかりか、明け方の山の峰には雲が行き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋をさしかけたようであり、夕方の山洞には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳に閉じこめられながら林に飛び交っている。

庭には春に生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋に来た雁が帰って行く。

そこで一同、天を屋根とし、地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。

一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞の彼方に向かって、胸襟を開く。

心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。

ああ文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。

昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい。」

 

「初春の月にして、気淑く風ぐ」の部分から、【令和】の元号は採用されています。

 

令和の元になっている単語の令月の意味としては、

れい‐げつ【令月】
1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」
2 陰暦2月の異称。

(デジタル大辞泉)

 

「嘉辰令月」

かしん‐れいげつ【嘉辰令月】
めでたい日と月。

(デジタル大辞泉)

と四文字熟語にもなります。

 

嘉辰令月歓無極万歳千秋楽未央

かしんれいげつよろこびきはまりなし、
ばんぜいせんしうたのしみいまだなかばならず
「和漢朗詠集 藤原公任撰」謝偃(しゃえん)「祝」より

めでたい時節と月の巡り、喜びは極まりない。これから先いついつまでも楽しみが尽きることはない。

朗詠にも使われている言葉です。

 

嘉辰令月の「」の文字は、嘉納治五郎の嘉納姓にも通じます。

単語の「嘉納」の意味としては、

[名](スル)
1 献上品などを目上の者が快く受け入れること。「御嘉納にあずかる」

2 進言などを高位の者が喜んで聞き入れること。

(デジタル大辞泉)

 

嘉納家の由来については、嘉納治五郎は灘の嘉納酒造家の一族であり、

「嘉納家は大昔から酒造家で嘉納という姓については、

古事記や日本書紀に登場する神功皇后に酒を献上したところ、

それをほめ(・ほめ)喜びおさめられた(・おさめる)、

すなわち嘉納されたところから嘉納と名乗るようになったと伝えられている」ようです。(『柔道の歴史』本の友社)

2019年3月21日 (木)

猪木アリ状態の元ネタ

1976年6月26日に行われたアントニオ猪木モハメド・アリの試合において、アントニオ猪木が取った戦法の、仰向けに寝転がって脚側を相手に向け、立ち技主体の相手に対して寝技への引き込みと脚による攻撃を主体としたスタイルについて
猪木・アリ状態と呼ぶことが多いです。
アントニオ猪木はこのスタイルの元ネタ、アイディア元として雑誌のインタビューに対して次のように答えています。
「ゴング格闘技 2014年5月号」
‐「あれ(猪木vsアリ状態)は前もって想定していたことなんでしょうか?」
猪木「いえ、全然。昔は『柔拳』(明治初期から昭和初期にあった柔道vsボクシングの興行)というのがあったでしょう?あれで柔道家はすぐに寝るんです。柔道家はパンチを受けないため、ボクサーは相手に組まれないためにはどうするか、それぞれ考えて動くとそうなります。ルールは決まってないわけですから」
猪木アリ状態に関しては、アントニオ猪木本人の証言にあるように、歴史的に実際に行われていた柔道家対ボクサーの柔拳興行における柔道家の戦法の一つが元ネタです。
この戦法は、創作ものにおいても、富田常雄の原作原本の『姿三四郎』の小説(1942年)においても見られる戦法です。
三四郎がボクサー相手に興行の場で戦うことになった際に使用し、寝技から立ち技の投げ技の流れを何度か決めて、最後は山嵐で決めています。
黒澤明による映画の『續姿三四郎』でも同じようなストーリーで、三四郎対ボクサーの展開にはなるのですが、この戦法は描写されることはなく三四郎が立ち関節技を狙った戦法に変えられています。
黒澤明にとってはリアリティの感じられないものだったのでしょうか。
その後も『姿三四郎』は、何度も映画化されドラマ化されアニメ化され漫画化されと、時代を超えメディアを超えて作品化されておりこの「猪木アリ状態」を描写している作品も見られます。
柔拳興行から、姿三四郎へ、そして猪木・アリの試合へ、というのがこの戦法・猪木アリ状態の歴史的な元ネタということになります。

2019年2月27日 (水)

柔道の「四天王」について

柔道における四天王と言えば、講道館創成期の講道館四天王の4人を指します。
しかし指宿英造・著『柔道一代 徳三宝』においては、徳三宝を筆頭とした徳三宝の時代の別の4人を講道館四天王としてもカウントしているようです。

今回はその紹介。

まずは本家の講道館四天王
富田常次郎西郷四郎横山作次郎山下義韶

富田常次郎は若くして嘉納家の書生となり、5歳年上の嘉納治五郎に誘われ伴われ柔術の修行を行い、治五郎の稽古相手となります。
嘉納治五郎の戦友であり、一番弟子であり、治五郎が講道館を発足した際には最初の入門者となります。
その息子、次男は小説家の富田常雄。『姿三四郎』シリーズや、やはり柔道を題材とした小説でベストセラー作家となり、それを原作として数々の映画化、ドラマ化をされています。
富田常雄は『刺青』(1947年)、『面』(1948年)で直木賞を受賞してもいます。
富田常次郎自身は柔道の実力では、他の3名、西郷、横山、山下には後れを取ったようですが、警視庁武術大会大日本武徳会武徳祭にも参加して、また学者肌の気質で指導者として講道館を支えます。
前田光世を伴って渡米し、その海外武者修行の発端ともなっています。

西郷四郎は、以前の記事「姿三四郎のモデルに関する説」「『いだてん』今後登場または言及されそうな柔道関連の人物の予想、希望」でも言及していますが、『姿三四郎』のモデルにもなっている人物で、数々の小説や映画、ドラマ、漫画などでモデルとして主人公にもなっています。
山嵐を得意とし、猫受け身を身に付けていたとされています。
この猫受け身は初代関口柔心の故事をヒントに身に付けたとされ、『いなかっぺ大将』の主人公・風大左衛門の師匠のニャンコ先生の得意技「キャット空中三回転」の元ネタでもあります。
西郷四郎は会津藩の家老・西郷頼母の養子となっていますが、一説には実子ではないかという噂もあり、その縁から創作ものでは会津藩御留流御式内を頼母から伝授されていた、という説を取っているものもあります。『修羅の刻 西郷四郎編』『東天の獅子』など。
四郎は警視庁武術大会で大活躍をし、講道館の躍進の立役者となりましたが、その後嘉納治五郎の海外視察での留守中に講道館を出奔することとなります。

横山作次郎は、富田常次郎や山下義韶が海外でも柔道普及活動を行っていたのに対し、国内での活動の第一人者です。
三船久蔵前田光世の直接の師匠であり、当時としては大柄で性格は豪放磊落タイプ。
古流出身で当て身技も得意とし、その著した柔道の教本の中でも当て身技の練習法などについても言及しています。
謎の技「天狗投げ」を使用していたという説もあり、一説には天狗投げは対古流や道場破り向けの超実戦的な技だったのではないか、という見解もあります。

山下義韶は史上初めて柔道十段位を授与された人物です。
小田原藩武芸指南役の家出身です。
アメリカに渡り海外での柔道の普及に努め、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの信頼を得てアメリカ海軍兵学校で柔道を教授し、ルーズベルト大統領の家族にも柔道を教授しています。
国内では警視庁において警視庁捕り手の形の制定などを行っています。
講道館四天王の中では一番嘉納治五郎と近いタイプの人物と言えます。


入門した時期の序列としては
富田常次郎、西郷四郎、山下義韶、横山作次郎。

全盛期の強さの序列としては
西郷四郎、横山作次郎、山下義韶、富田常次郎。
西郷四郎と横山作次郎が双璧で、山下義韶がそれに続き、富田常次郎が更にそれに続きます。
しかし西郷は若くして講道館を出奔しており、その後の修行を含めれば横山作次郎が西郷を超えている可能性もあります。

柔道への貢献の序列としては
山下義韶、横山作次郎、富田常次郎、西郷四郎
これはその活動時期・没年など総合してのもので、最終的なそれぞれの段位の高さとも合致するところです。

講道館四天王は、史実を元に名前をもじられて創作されている場合も見受けられます。
姿三四郎』では姿三四郎 戸田雄次郎 壇義麿 津崎公平

近藤竜太郎の小説・またそれを原作とした映画『柔道一代』では、本郷四郎戸田常次郎横川次郎作中山仙造


徳三宝の時代の方はマイナーで、徳三宝関連での言及でしか確認が取れないのが実状で、あまり深い情報は得られないのメンバーです。
書籍『柔道一代 徳三宝』には2通りの組み合わせの徳三宝時代の講道館四天王が言及されていました。

『柔道一代 徳三宝』で言及されている講道館四天王の組み合わせの一つは、P142では、徳三宝中野正三橋本正次郎石田信三の4人。
1918年の徳三宝と石田信三の対決以降四天王と呼ばれるようになった面子のよう。
それ以降も柔道の猛者は歴々と登場しており、期間限定的な講道館四天王でしょうか。

P202で言及されている講道館四天王は、徳三宝中野正三石田信三高橋数良の4人。

それぞれで橋本正次郎と高橋数良が異なっている組み合わせです。

徳三宝
三船久蔵田畑昇太郎(共に柔道十段取得)との対戦でも有名です。
鹿児島県徳之島生まれ。佐村嘉一郎(後の柔道十段)に見出されて講道館に入門。東京高等師範学校在籍中にブラジル艦隊の水兵に挑まれて、ブラジル水兵15人を返り討ちにしたことが元で国際問題に発展しかけて、講道館から一時的破門受ける。
6年の破門・謹慎処分の後に破門を解かれ、弟子の教育に専念。1945年3月10日の東京大空襲で罹災死去、享年59。同日九段に昇段。

中野正三は柔道十段取得、講道館殿堂入り。

橋本正次郎
柔道九段。
東京高等師範学校〔大正11年〕卒。
明治41年上京し講道館入門、嘉納治五郎に師事。東京高等師範学校卒業と同時に助教授、昭和16年教授となり柔道指導者の養成に尽力。

石田信三はほとんど情報がないです。
破門明けの徳三宝と接戦し、引き分けたことで新「講道館四天王」と呼ばれるようになる。
その際の徳三宝は息を切らしておらず、まだ余裕があったようにも見えたようです。

高橋数良は、柔道八段。
元祖講道館四天王の1人である横山作次郎の直弟子で、切れ味鋭い足技を駆使した後の先の返し技(裏技)の達人です。
後には警視庁や陸軍幼年学校、東京高等師範学校等の柔道師範を務めて多くの後進の指導に当たり、戦前の柔道界を牽引した大家と知られています。
実力主義者の人物で、高段者の昇段に形の審査が加わったことにも反発したほどとのことです。


他にも海外四天王キューバの四天王)と呼ばれる4人もあり。
天狗倶楽部『冒険世界』前田光世」の記事でも言及。
前田光世佐竹信四郎伊藤徳五郎大野秋太郎の4人。

前田光世は「天狗倶楽部『冒険世界』前田光世」の記事で詳しく書いています。

佐竹信四郎は、前田光世の活躍を聞き、その旅に時に同行し時に別行動をし海外で異種格闘技を闘った人物。
前田光世と共に天狗倶楽部のメンバーに名を連ねてもいます。

伊藤徳五郎は海外でアド・サンテルと幾度と対戦したことが有名です。
伊藤は初戦で敗北してしまったことがアド・サンテルを調子付かせてしまい、サンテルが来日し講道館に挑戦してきた「アド・サンテル事件」へと繋がります。
その後も伊藤はサンテルと再戦を果たし、時期を変えて全3度の対戦。
最初の不覚を取った戦い以外は後れを取ることはなく勝利し引き分け、全3戦の結果は1勝1敗1引き分けだった模様。

大野秋太郎は明治38年(1905年)に渡米。初の海外試合を行うために遠征でアメリカに渡った早稲田大学野球部と同船だったようです。
早稲田大学柔道部出身のようです。
アメリカやヨーロッパで異種格闘技を戦ったりレスリングの試合に参加したり活動しています。
海外では「大仏」のあだ名で呼ばれていたようです。

2019年2月25日 (月)

各柔道派閥の重視する技術思想の傾向について

嘉納治五郎思想。
寝技技術も内包するが、割合としては立ち技重視。
投げ技(乱取り)。
立ち関節技(極の形)・立った状態での固め技。
当て身技(精力善用国民体育・攻防式国民体育)。
武器術・対武器術(古武道研究会)。


高専柔道・七帝柔道。
寝技重視。
学生時代の短期間に上達する必要があるため、センスよりも研究力・練習量が求められるとされる、寝技に特化。
引き込み。寝技の待て無し。


武徳会柔道。
嘉納思想と高専柔道の良いとこ取り、折衷的か。
高専柔道を指導する側になった古流出身の柔道家もいる一方で、嘉納思想の影響も強くあり、当時の講道館のトップクラスの柔道家も武徳会で柔道範士・教士等の等級も取得・所持している。
戦時中には、当時の軍事政権の管轄下に入り、技術的にも禁じ手の解禁。
全身の関節技の禁じ手の解禁。戦後に発生するプロ柔道の基にもなる。
また乱取りにおける当て身技の(一部)解禁。


戦時中の体練科における柔道。
嘉納治五郎の精力善用国民体育を基に当て身技の重視。
実戦性を重視して、野外での訓練、特定の服装・柔道着のみによらない訓練、複数人による乱取りなどが行われる。


戦後柔道。
日本の敗戦により、占領軍GHQによる武道禁止令で禁じ手制限が強くなる。
国際スポーツ化。
投げ技と固め技の技術による乱取りに特化。


国際柔道連盟の9代目会長・マリウス・ビゼール会長による柔道。
商業主義的。
禁じ手の強化傾向が強くなる。


井上康生監督による柔道改革。
嘉納治五郎を想起させる・温故知新に立ち返る要素を含み、柔道を総合武術、総合教育とも捉える強化案を実行している。
現行の国際ルールのみではなく、世界中の格闘技を経験させ、芸道・教育も意識させ、柔道を高めることを意識している。

2019年2月10日 (日)

柔道の理念・目的・簡略的に再確認

柔道の理念は、
柔能制剛」(柔能く剛を制す)・「柔の理
を発展させた、

精力善用」「自他共栄
心身の力を最も有効に活用して 己を完成し 世を補益する


柔道の4つの目的は
勝負法」「体育法」「修心法」「慰心法

勝負法
武術、総合武術、真剣勝負、護身

体育法
体育、身体面での実益、生涯武道、健康、競技、スポーツ
強・健・用(強化・調和的発達・実用性)

修心法
知育、徳育、諸事百般への応用、教育、精神修養
精神面での実益、社会生活面での実益、生活面での実益
政治、経済、外交、教育、生活、人間関係などあらゆることに応用可能

慰心法
興味、娯楽、美育
やる楽しみ、見る楽しみ、話題にする楽しみ
やる格好良さ、見る格好良さ、話題にする格好良さ

2019年1月 9日 (水)

天狗倶楽部『冒険世界』前田光世

大河ドラマ『いだてん』作中に登場する団体、天狗倶楽部。
冒険小説家の押川春浪を中心に様々なスポーツ、学生スポーツ活動と、雑誌刊行などを行っていました。

天狗倶楽部と関わりある雑誌として、押川春浪が編集者として刊行した雑誌『冒険世界』。
『冒険世界』には冒険小説・探険小説、探険・旅行実話、講談、及びスポーツ記事が掲載されました。

その天狗倶楽部の数多くのメンバーの中で、このブログ的に注目すべきは前田光世!
前田光世は青森県出身で、早稲田大学柔道部に所属。
講道館で柔道を学び、講道館四天王の一人・「鬼横山」横山作次郎に師事。
講道館四天王の一人・富田常次郎に伴われ柔道の海外普及のために渡米して、その後独自に行動。
柔道の海外普及のために北米・ヨーロッパ・南米と旅を続けて、異種格闘技を闘い武者修行。
後年は南米ブラジルを安住の地とし、そこでグレイシー一族に柔道(当時の海外での呼び名で柔術)を伝えブラジリアン柔術の祖となった人物です。

前田光世は海外から日本在住の友人の薄田斬雲にたびたび手紙を送っており、武者修行、他流試合、異種格闘技戦、色々な試みの内容を日本に伝えました。
薄田斬雲はそれを雑誌『冒険世界』に掲載することで、前田光世の旅は日本の読者にも知られていました。

また、前田光世と海外において行動を共にした佐竹信四郎も同じく天狗倶楽部のメンバーです。
海外に渡り、中南米を中心に異種格闘技や興行で名を馳せた柔道家の4人、前田光世、佐竹信四郎、伊藤徳五郎、大野秋太郎は、当時玖瑪(キューバ)の四天王(海外四天王)という異名でも呼ばれました。

2019年1月 6日 (日)

「柔道」嘉納治五郎と『武士道』新渡戸稲造

講道館柔道の創始者の嘉納治五郎と、1900年に英文出版され各国でベストセラーとなった書籍『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』の著者・新渡戸稲造は既知の間柄であったようです。
新渡戸稲造は旧5000円札の顔にもなっている人物です。

新渡戸稲造が教師生活を送る傍ら執筆し、1900年に英語で出版した『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』は、日清戦争の勝利などで海外の諸国が日本および日本人に対する関心が高まっていた時期であったこととも相まって、ドイツ語、フランス語など各国語に訳されベストセラーとなり、当時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領にも感銘を与えたそうです。

セオドア・ルーズベルト大統領というと、講道館四天王の一人、渡米した山下義韶がその実力を認められて、合衆国海軍兵学校の教官となり指導した際の大統領です。
山下義韶がセオドア・ルーズベルト大統領に認められ、合衆国海軍兵学校の教官となったのが1905年ということで、新渡戸稲造の『武士道』の影響が大いにあったことが分かります。

以前の記事にも書きました、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)による著作『Out of the East』による柔道(柔術)の紹介が1895年ですね。

嘉納治五郎と新渡戸稲造は大日本武徳会の機関誌『武徳誌』の編集顧問を二人で行っていたようです。
1907年~1909年の時期ですね。

イギリス柔道の父である小泉軍治と、シャーロック・ホームズのバリツの元ネタの人物とされる谷幸雄の二人がイギリス・ロンドンで開いていた武道会でも新渡戸稲造が講演し、嘉納治五郎がヨーロッパにおける普及の足がかりとしたという繋がりもあったようです。

新渡戸稲造は1920年から1926年に国際連盟事務局次長の要職に就いていますが、その後任に就いたのが嘉納治五郎の開いていた嘉納塾出身で教え子であった杉村陽太郎だったという縁もあったようです。

『武士道』を海外に紹介した新渡戸稲造、柔術を新たな価値観を含め発展させ「柔道」を創設し海外に普及した嘉納治五郎。二人の日本文化の担い手にして教育者にして国際人は、お互いに高め合い影響を受け合い与え合っていたのでしょうか。

柔道・武道・武術・武士道への理解を深めるために、武士道関係の書籍も読んでいこうと思います。

新渡戸稲造の『武士道』(1900年)
柳生宗矩の『兵法家伝書』(1632年)
沢庵宗彭の『不動智神妙録』(1600年代)
宮本武蔵の『五輪の書』(1645年頃)
山本常朝と田代陣基の『葉隠』(1716年頃)
といったところを読んで知識を深めようと思います。


参考文献「嘉納治五郎人脈マップ」「国際人、嘉納治五郎を支えた人たちー新渡戸稲造・杉村陽太郎ー」