経済・政治・国際

2019年10月 2日 (水)

嘉納治五郎の死

9月29日放送の大河ドラマ『いだてん』第37回「最後の晩餐」で嘉納治五郎の死が描かれました。

私の手元にある『嘉納治五郎大系 第十四巻』には、270ページほどある本文中、200ページ程を割いて「嘉納治五郎追登録」「嘉納先生を偲ぶ座談会」が掲載されています。

そこには『いだてん』作中でも描かれた、嘉納治五郎の最期を看取った外務省平沢和重氏の手記も掲載されています。

まだ全てを読んだわけではありませんが、冒頭数ページを読んだ上での気づいたところを書いてみます。

 

手記によりますと、作中語っていた精力善用について嘉納治五郎は最期の船旅の中で言及しています。

また、船内での港の会食の際に「人生で一番面白かったこと」を話題にしたことも平沢氏の手記には書いてあり史実だったようです。

実際には嘉納治五郎は風邪で体調が悪く自らのことを語ることはなかったおうです。

 

『いだてん』作中ではほとんどの人物は描ききれていませんでしたが、記録では氷川丸の帰港、嘉納先生の遺体の「哀しき凱旋」の際に、出迎えにあったのは、

嘉納先生の妻の須磨子夫人、嗣子の履正氏、長女綿貫範子夫人、横浜在住の五女篤子さんの夫君高崎正見氏をはじめ新席、

講道館の永岡秀一、飯塚国三郎、佐村嘉一郎、三船久蔵、の各指南役、

下村宏大日本体育協会会長、平沼亮三副会長、

カイロ会議に嘉納治五郎と共に活躍した永井松三事務総長、葬儀委員長に財部彪海軍大将、IOCの盟友副島道正、末弘厳太郎体協専務理事、

といった諸氏がいたと記述されています。

嘉納治五郎の遺志を継ぐ物語で『いだてん』はまだまだ続きますが、まだまだ描ききれなかった人物はたくさんいます。

そういった人物も描ききれる大河ドラマ『嘉納治五郎』も望むところです。

 

2019年6月 1日 (土)

柔道教育ソリダリティー

2006年から活動の行われていました、山下泰裕・全日本柔道連盟会長が理事長を務める認定NPO法人「柔道教育ソリダリティー」が2019年5月30日の総会をもって13年間にわたる活動を終了しました。

山下泰裕理事長は、全日本柔道連盟会長などの要職にあり、また来年の2020年東京オリンピック・パラリンピックの活動とともに、今年7月には日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任が予定されておる多忙を極める状況です。

その上で、「柔道教育ソリダリティー」が担ってきた活動は、今後、井上康生監督が4月に設立したNPO法人JUDOsによって、引き継がれていくようです。

山下理事長、お疲れ様でした。


Wikipediaより

柔道教育ソリダリティー

2006年には特定非営利活動法人 柔道教育ソリダリティーが設立されている。理事長として山下泰裕が就任し、「柔道の国際的な普及に寄与するとともに、その活動を通して人と人との交流を図り、異文化理解を進め、もって日本のさらには世界の青少年育成に寄与すること」を目的とし、

「柔道・友情・平和」をスローガンとし、

事業内容として、

1. 柔道の国際的普及、振興に係わる事業。

2. 柔道による文化交流、異文化理解の推進に係わる事業。

3. 柔道による青少年育成に係わる事業

を行っている。

2018年12月11日 (火)

インドと柔道 インドの視覚障害者柔道 インド独立と柔道

先日、次のようなニュースがありました。

視覚障害のインド人女性、護身のため柔道に挑戦 今では王者に
https://www.cnn.co.jp/world/35124724.html

ジャンキ・ゴウド(23)さんは、インド中部マディヤプラデシュ州の在住で、そこは女性に対する犯罪でレイプがまん延している地域であり、そのことは視覚障害を持つゴウドさんにとって長年の脅威でした。
国際非政府組織「サイトセイバーズ」の州責任者、ジャヤシュリー・クマルさんは「この地域の障害を抱えた女性の間では、同伴者なしで家の外を移動すると虐待や襲撃を受けかねないと心配する声が大きかったため、護身術や柔道を取り入れた」と話します。
サイトセイバーズが2014年に柔道や護身術の訓練を施すプロジェクトを開始して以来、ゴウドさんも含め200人の女性がその恩恵を受けてきました。
ゴウドさんは、柔道が人生を変えてくれたと話します。

ゴウドさんは5歳の時にはしかにかかり、視覚を失い自信を喪失していましたが、今日では、ゴウドさんはプロジェクトの広告塔的な存在になっているそうです。若い柔道家の面倒を見ており、国際大会にも出場し、視覚障害者の柔道で全国チャンピオンに輝いています。昨年には初めて飛行機に乗り、ウズベキスタンで行われた国際視覚障害者スポーツ連盟の大会で銅メダルを獲得しています。

「柔道を始めたのは護身が唯一の目的」「プログラムの主な狙いもそこにあった。始めた当初は柔道の護身術に関してそれほど知識を持っていなかったが、インストラクターが目の不自由な私たちを励ましてくれた」(ゴウドさん)

このプログラムで人生が一変したのはゴウドさん一人だけではなく、これは主に、柔道の練習を取り入れたプログラム責任者のクマルさんの手腕によるところが大きいそうです。

プロジェクトは現在、隣接するラジャスタン州など他の地域にも拡大中だ。クマルさんは全国規模に広がっていく可能性もあると期待を寄せています。


インドの柔道の歴史に関しては、『日本格闘技おもしろ史話』(加来耕三 毎日新聞社 1993年)にも記載がありました。

P244「おもしろコラム⑮ インド独立と柔道」という内容です。
それによると、インドはイギリスから独立を勝ち取るため、日本と戦火を交えましたが、国民感情はむしろ親日的ですらあったそうです。
日本の戦争犯罪を追求した「極東軍事裁判」においても、インド代表のパル判事は、無罪論を主張して、終始、日本のために尽力してくれたそうです。

このインドの親日感情の源泉を、柔道に求める人は、国の内外に多いそうです。

1904年(明治37年)、講道館が一人のインド人を受け容れて以来、インドと柔道の関わりは細々と続いていましたが、1929年(昭和4年)、詩聖タゴールが日本を訪問した折に、大倉信彦(のちの東洋大学長)を通じて、講道館の館長・嘉納治五郎のもとを訪れたそうです。

「自分の主催するタゴール大学に、柔道教師を派遣して欲しい」
と申し出があって、親密度は一気に増したそうです。

ボンベイには戸井真之介がいましたが、それ以来、講道館が高垣信造五段(当時)を送り込んだことによって、インドにおける柔道の普及は飛躍的に伸びたそうです。

「柔道は肉体的効果を挙げ得るのみならず、精神的効果を期待し得られるものと考えられる。(中略)柔道の秘訣は、力を以って争うものではなく、敵の力に柔従すること、即ち“柔軟”に依って敵の力を利用することに在る」

インド各地の新聞に柔道が評論されると、またたく間に修行人口は十万人を突破したそうです。

「インドの青年達は、日本は仏教という偉大なものを吾々から伝えられたが、吾々はその仏教にも匹敵する柔道を教えられることになったと喜んでいる。そして柔道の精神を認識した彼らのこそ、将来の自国を背負って立つことになるだろう」

高垣信造はインタビュアーに胸をはりましたが、実際に戦後のインドを見ていると、柔道の精神が多少なりとも幸いしたかと、思われるところが少なくないそうです。

以上、『日本格闘技おもしろ史話』(加来耕三 毎日新聞社 1993年)P.244「インド独立と柔道」からの引用です。